さようなら、SLニセコ号
ご乗車ありがとうございます。SLニセコ号が、11/9(日)で見納めとなります。( p_q*)。
11月3日、今年で廃止となるSLニセコ号にお別れを言おうと、倶知安まで行ってきました。

一応、この日がラストランと言われていますが、11/8(土),9(日)にもクラブツーリズムの貸切で運転されるそうなので、まだ見るチャンスはあります。
ただ、私は土日に仕事が入っていて最後の雄姿は見られないので、なんとしても、11月3日に見届けなくてはなりませんでした。
無事にSLニセコ号を拝んだ翌日、両腕と両脚には、心地よい筋肉痛が覆っていました。
原因は、カメラと、自転車です。
あ、と言っても、まさか、倶知安まで自転車で行ったわけではありません。雪だったし。
11月2日と3日は、Ⅰ兄さんが監督を務めるミニバスチームの試合の撮影係を仰せつかって、自宅から会場へ自転車で向かい(片道7㎞程度だけど、時間がなくて猛ダッシュd(*゚∀゚*))
2.2㎏のカメラを抱えて、11/2は午前と午後の2ゲームを撮影(昼には自転車で線路沿いまで走って撮り鉄)、11/3は午前中に1ゲームを撮った後、試合に負けたのでお役御免だと思い込んで、3位決定戦があるとは知らず、さっさと退場(I兄さん、スミマセン)。
晴れ間を縫って自転車で最寄駅まで猛ダッシュして、コインロッカーに自転車を預け、JRで小樽へ…。
と、たったこれだけで、筋肉痛が出来上がるダメダメな肉体を持つハイジ急行。
「年を取ると、筋肉痛は時間差で数日後に襲ってくる」と聞いたことがあったので、
「ちゃんと翌日に表れているから、私、まだ若い証拠よね」
なんて思ったぐらいにして、日を追うごとに筋肉痛が増している事実からは目をそらす。d(*゚∀゚*)
さて、話を戻しましょう。小樽に着いたところから。
札幌を出た時点で雪混じりの雨が降っていましたが、小樽に着いたら、ほとんど雪になって、視界も真白くなってきました。

前日がポカポカ陽気だったため、この日はまだ冬装備をしていませんでした。
そこで、駅前のドラッグストアへ直行して、ももひき スパッツ レギンスとネックウォーマーを購入し、上から重ね着しました(←のちに大正解だったと実感することになります)。
13:50に小樽を出発。

14:57 倶知安に到着。
ホームには、蘭越12:32発、倶知安13:16着のSLニセコ号が待機していました。

これがニセコへいったん回送されて、再び倶知安に来るのが15:59。
その場面をどこかから望遠で狙いたいと思いつつ、周囲を見渡してみて、とりあえず、目にとまった緑色の跨線橋へ。駅からニセコ方向へ歩いて5分ほどのところです。
雪は降ったり止んだりを繰り返しながら、次第に激しくなっていきます。

ニセコ号の通過まで50分もあったのですが、駅に戻っても待合室のベンチは満席状態だし、他に時間をつぶせる場所もないので、このままここで待つことに。
こんな雪の吹き荒れる中で、50分、立ち通しですよ。我ながら、根性あるな~って思います。
皆さんも、そう思うでしょ。ほら、思いつく限りの言葉で、たくさん、私をホメてやってくださいよ。
さ、ホメ終わりましたか。
ゴメンね、実は、この跨線橋、素晴しく立派な囲い付きなの。(*゜∀゜)ゞてへ

でも、寒いということと、立ち通しということには変わりないですから。
15:58 来た! 小窓を開けて、パシャっと。

う~ん、電線が入っちゃったけど、ま、いいか。
撮り終えてすぐ、倶知安駅に駆け戻ると、ホームでは地元の太鼓の会?の人たちがSLニセコ号の出迎え盛り上げていました。

列車の前では、〝SL「ニセコ号」今年もありがとう〟と書かれた横断幕をバックに、機関士さんたちへの花束贈呈式や記念撮影が行われていました。

和装姿の女性は、客室乗務員と思われますが…、とても寒そうです。
後ろを押すのは、DE15。ご苦労様でした。

すすで汚れたヘッドマークが、またステキです。
SLニセコ号の乗車経験は、結局、2008年10月の1度きりで終わってしまいました。

札幌駅にSLが停まっている不思議な光景。汽笛の音に心臓が震えたのを覚えています。
何と言っても、最大の思い出は、2009年11月1日に、小樽駅1日駅長を務めた際の、小樽駅でのSLニセコ号の出発合図です。

今改めて、本当に貴重な体験だったなぁと思います。
倶知安駅のホームに、発車のベルがカラーン、カラーンと打ち鳴らされ、

16:18 SLニセコ号は札幌へ、最後の旅に行ってしまいました。

さようなら、ありがとう… (p_q*)