断捨離で 物欲超えて よく肥えて
ご乗車ありがとうございます。そろそろ、ヒグマが冬眠から目覚めます。(・(ェ)・)ゞ
札幌も、先日(4/11)、今年初の積雪ゼロとなり、すっかり春らしくなってきました。
そんな中、まだ2月の旅の報告が終わっていないハイジ急行ですが、
ついに今日、「急行きたぐにに乗れなかった旅」4日目、最終話をお伝えします。
(1日目の話はこちら、2日目の話はこちら、3日目の話はこちら。)
4日目の朝は、前夜に酒量を控えたものの、旅の疲れで体が起き上がらず、
せっかくのトレインビューもほとんど楽しめないまま、バタバタとホテルをチェックアウト。

JR仙台駅から徒歩3分のホテルJALシティ仙台。在来線と新幹線の線路が見えます。
8:01 東北新幹線やまびこ51号で仙台を出発。
↓
9:03 降り立ったのは、新花巻駅。

ここからは、レンタカーで移動です。
といっても、わたしはペーパードライバーなので、前夜、酌み交わしたK林Cさんが運転します。
向かう先は、釜石市の鵜住居(うのすまい)地区。私にとって初めての被災地訪問です。
1時間ほどして、遠野市の道の駅で休憩タイム。お土産も物色しました。

帰りにもう一度立ち寄って、購入して大変なことになったお土産が、あの和クルミです。
再び車に乗って30分、日本昔ばなしに出てきそうなお山を横目に走ると、

ほどなくして、釜石市街に入っていきます。
左はJR釜石駅、右端の小さい建物は無期限運休中の三陸鉄道南リアス線の釜石駅です。

三陸鉄道釜石駅の駅舎では、3月18日から鉄道ジオラマを展示するカフェがオープンしているそうです。
市役所の方向へ進むうち、津波の爪痕が残る商店街が現れます。外壁には「解体可」の文字。

釜石湾の海岸まで500mくらいの所だと思いますが、ここから海は見えません。
市役所から北へ進むと、両石という小さな集落があります。
目に映るのは、建物の基礎の部分と、鉄筋の骨組みだけです。

さらに北へ。
大槌湾を望む鵜住居地区に入ります。
どこに何があったのか、JR山田線の鵜住居駅も、どこにあるのか分かりません。

釜石市の死者・行方不明者1,044名('12/4/11現在)のうち、4割もの方がここで亡くなったそうです。
鵜住居では、避難所に指定されていない防災センターが、過去の防災訓練で避難先に使われたことで誤解を招き、訓練どおりにセンターへ避難した方々のうち、63名が津波で亡くなるという悲劇も起きています。
その一方で、小中学校はどちらも津波で水没したのですが、日頃の避難訓練が功を奏して、児童・生徒の約570人全員が生還し、「釜石の奇跡」として語られています。
釜石市内には、明治三陸沖地震(1896.6.15)と昭和三陸沖地震(1933.3.3)を記録した石碑が22基あるそうで、そうした先人の言葉も多くの命を救ったに違いありません。
2011年12月9日、新たな言葉を刻んだ石碑が、鵜住居の海浜公園で除幕されました。

碑文を紹介します。
ともかく上へ上へ逃げよ。
てんでんこで逃げよ。
自分を助けよ。
この地まで、津波が来たこと
そして、裏山へ逃げ
多くの人が助かったことを
後世に伝えてほしい。
Memorial Stone of the Tsunami.
Just run ! Run uphill !
Don't worry about the others. Save yourself first.
And tell the future generations
that a Tsunami once reached this point.
And that those who survived were those who ran.
Uphill. So run ! Run uphill !
東日本大震災が1000年に一度の地震だと言うのなら、この教訓を、少なくとも1000年、語り継いでいかなければならないと感じます。
12:00 この石碑の目の前に建つ「宝来館」という旅館を訪問して、1時間ほどで所用を済ませ、おいとましました。
その帰り、近くでプレハブ小屋のお弁当屋さんが、元気に営業しているのを発見。

「まだお弁当ある?」と覗き込んでいるのは、北海道から来ているボランティアの方々。
復興を信じつつ、この後、仮設住宅を見学させていただいて、岐路に着きました。
新花巻駅に到着すると、Cさんは仕事を続行するため、15:59発の釜石線で花巻へ。

すぐ上を新幹線が走っています。
私は仙台へ戻るため、16:34発の東北新幹線はやて110号に乗車。

はやては全車指定席ですが、駅員さんが「仙台までは指定券がなくても、空いている席に座れますよ」と教えてくださったので、自由席特急券のまま乗ることにしました。
もちろん、指定券を持つ人が乗車してきたら、席を譲らなくてはならないわけで、、、
駅弁を撮影しようと、最適なカメラアングルを求めて身体をのけ反らせているときに席を追われ、

大好物のホタテが、唇の手前5ミリのところで、立ち退きを迫られ(´・∀・`)すんどめ、
お腹が一杯になって、うつらうつらしかけたときに、また席を移動..(ノ´+ω+)ノ・゚・。
疲れがたまっている旅の終盤に、数百円ぽっちの指定席をケチっちゃダメですね。
17:39 仙台に到着。
18:55発のANAで、札幌へ帰還しました。
こうして、4日間の旅が無事に終了。
最大の目的だった急行きたぐにの乗車は実現しませんでしたが、わたらせ渓谷鉄道や阿武隈急行を初体験できましたし、両手にはたくさんのお土産をぶら下げて帰ってきました。
ちなみに、今回のお土産は、鉄道モノの3点を除き、他はすべて食べ物です。
ここ数年、流行している「断捨離」に私も感化されて、自然に還らないような物はなるべく買わないように心がけているんです(そのかわり、自然に還る物をたくさん買うので、よく肥えます(´・∀・`))。
この冬は洋服を大量処分して、整理ダンス2台のうち1台を空っぽにしました。
震災をきっかけに、物に溢れる生活を省みるようになったことも、影響しています。
ただ、釜石でガレキが積まれた山を見ながら感じたのは、むしろ、断捨離とは逆の感情でした。

一生懸命働いて欲しい物を手に入れることは、間違ったことではないはず。
一生懸命働いて買った家や車、生活用品の数々を、否定するなんて、私にはできません。(>ω<。)
捨てた洋服の替わりにタンスに詰めた鉄道グッズも、否定するなんて、私にはできません。(>ω<。)

(Pω゚q。)新たなタンスの肥やし?